Original

猫の駅長「たま」を知っていますか?

日本では最近「ネコノミクス」と呼ばれるほどの猫ブームです。TVやSNSではたくさんの猫が見られますね。そのブームの先駆けとなったのが、和歌山電鉄貴志駅で、猫の駅長として話題を集めた「たま駅長」です。

みなさん、覚えているでしょうか?残念ながら2015年に亡くなりましたね。今日はそんな「たま駅長」の功績と生涯、そして可愛らしさをみなさんにご紹介したいと思います。

駅長になった猫

2003年、貴志駅のある貴志川線を運営していた南海電鉄は赤字を理由に廃線を決定、岡山の両備グループが経営を引き継ぎ「和歌山電鉄」が誕生した。

敷地は公有地となり、そこに置かれていたたま達の猫小屋は立ち退きを迫られた。困った飼い主が和歌山電鉄社長に「猫たちを駅の中に住まわせてくれないか?」と頼み込み、たまに一目ぼれした社長の決断で「たま駅長」として、他の2匹とともに駅に住み込みそれぞれ「駅員」の任務に就くこととなった。

その後「たま駅長」は全国的な話題となり、たまは「スーパー駅長」、「ウルトラ駅長」と昇進し、最終的に「和歌山電鉄社長代理」の肩書きを持つこととなった。

「たま駅長」の生涯 

たまの母親の「ミーコ」は元々、南海鉄道時代の貴志駅舎南側の倉庫内の作業員詰め所で飼われていました。一駅手前の「甘露寺前駅」の生まれだそうです。やがてミーコは貴志駅で4匹の子猫を出産。そのうち1匹は三毛でした。1匹は死んでしまい、2匹は貰われていきましたが、一番性格の大人しい、おっとりした三毛の子は「たま」と名づけられて、ミーコと一緒に「小山商店」で飼われるようになりました。もう一匹「ちび」は小さい頃に駅前に捨てられていたのを拾われ、たまが母親代わりとなって育てられました。

たま達は売店と倉庫の間に作られた猫小屋で暮らし、昼は売店の前で過ごすようになりました。近所の人や駅の利用客に可愛がられる、いわば「アイドル」のような存在だったそうです。その後、駅長となる経緯は前で説明したとおりです。

ミーコは2009年に亡くなり、タマは2015年6月22日に16歳で亡くなりました。葬儀の模様は大々的に海外にまで報道されました。

まとめ

たまは地域、鉄道会社の人々に愛されて生きていました。そして、その人たちに大きな恩返しをしました。亡くなった「たま駅長」に大きな拍手を送りたいと思います。ありがとう~「たま駅長」 



♡記事を毎日更新中!!気に入ったら''いいね👍''をClick♡



 「ウサギの島」広島県大久野島

 外国人と行くならお洒落居酒屋よりも絶対下町居酒屋!

 海外で恥ずかしかった「私が経験した間違いだらけの和製英語体験談」

 日本独自の動物カフェで定番の動物から珍しい動物に会いに行こう!

 ポートレート撮影@江ノ島の巻

株式会社Extractor 編集部

株式会社Extractor 編集部

Extractor編集メンバーが不定期で更新します。 独特の目線で日本の魅力をExtract(抽出)してご紹介致します!

この内容で送信します。よろしいですか?